北方義朗プロフィール | |
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1955(昭和30)年 | 京都生まれ |
1974(昭和49)年3月 | 京都府立嵯峨野高校卒業。 |
1974(昭和49)年12月 | ポップスデュオ「ちゃんちゃこ」として「空飛ぶ鯨」でデビュー。 「ヤングOH!OH!」「ギンザNOW」等のテレビのレギュラー番組を多数担当し、1975(昭和50)年度のレコード大賞編曲賞、新人賞、東京音楽祭シルバーカナリー賞等々、多数の賞を受賞。 |
1981(昭和56)年1月 | 日本リクルートセンター(現在の株式会社リクルート)入社。 広報企画部、マーケティングコミュニケーション部、カーセンサー事業部等の企画営業を担当。 大手企業を中心にプランニングをまじえた提案営業を展開し数々の実績をあげる。 |
1986(昭和61)年10月 | 株式会社リクルートを円満退社。 |
同年11月 | CCC(カルチュアコンビニエンスクラブ株式会社)入社。 東京社長室長等の要職で、 TSUTAYAブランドの国内トップのレンタルビデオチェーンの東日本地区のFC展開やCCC全体の広報活動等を担当する。 |
1989 (平成元)年3月 | CCCの関連会社である株式会社AV生活総合研究所(ぴあ創業者メンバー・黒川文雄氏のエフツウ株式会社との合弁会社)を設立。取締役企画部長に就任。TSUTAYA会員向AV情報誌「WonderPress」発行。 S-VHS普及のために大手家電メーカーによるコンソーシアムを設立し運営を担当。 またエフツウ株式会社・取締役としてCD-ROMを中心としたデジタルコンテンツの普及、DVDスタートにあたってのコンテンツ戦略のコンサルティング等を担当。 |
1997(平成9)年4月 | 新体制のカルチュア・パブリッシャーズ株式会社(CCCの戦略的なコンテンツ担当会社)取締役企画部長に就任。 DIRECTVにおける番組供給戦略や東芝・松下両社との資本提携を含むDVDソフトのTSUTAYAにおけるレンタル事業の開始等を担当。 |
同年12月 | CCCとリクルートとのジョイントベンチャー企業・株式会社CCRを設立。代表取締役に就任。 |
1999(平成11)年10月 | CCCグループを円満退社。 |
同年11月 | 株式会社アンサンブルを設立。代表取締役に就任。((2004年1月社名をスピリッツ・プロジェクトに変更) デジタル時代における音楽配信を視野に入れた新しいレコード会社としての音楽事業とデジタルコンテンツに関連するコンサルティング業務を中心に活動。 |
作詞作曲 きたかたよしろう
乾いたギターに歌声のせて 少年達の夢が風に響いた
僕らは疑いもせずに探していた 歌の明日をみつけるのだと
君は今も信じてるか 歌の大きな力のことを
語り明かしたいな 今頃どうしているかな こんな夕べに
歌に誘われて走ってきたね つまずいて選んだ別れ道
不器用な自分が独りで歌う 君と歌った街に枯葉が舞う
そんな君も恋に悩み、真夜中に電話が鳴った
確かめ合ったんだ 僕らの歌はずっと All need is love
歌はいつも、僕達を次の夢に繋いでくれた
君はいつも何も言わず歌の力を教えてくれた
これからもずっと愛し続けて行けるかな 歌と人を
作詞作曲 きたかたよしろう
何処まで生きたのかな 夢の途中の町で
輝いたあの日の僕達が 呼んでいるon the road
巡り会えた喜び 巡り会えた奇跡を
背中に感じて歩き出す 果てしの無いon the road
舞い上がる喜びをいつも分かち合えた僕達
ありがとうの言葉置き去りにしたまま 振り返らないon the road
朝焼け染まる町に 風が別れを告げる
タバコをもみ消して歩き出す 終わりの無いon the road
恨みの眼差しが刺さった あの日の僕達のこと
カバンの底で今も疼いている 振り返れないon the road
ドラマのエピローグは 明日に預けよう
揺れる夢をかき集めたら 僕達のon the road
作詞作曲 きたかたよしろう
この空の青さを一緒に眺めたら
少しでも見えるかな 明日の夢の色
独りきりはよくない 一緒に笑えない
本当はね あなたはね 少し寂しいだけさ
好きだから あなたと行きたい あなたと話したい
好きだから あなたのこぼれる笑顔が見たいから
ややっこしい時代に生まれたものだね
疲れたら話そうよ あの日の思い出を
こみ上げる思いを 一緒に束ねたら
きっとまた見つかるよ 何か素敵な事
好きだから あなたと行きたい あなたと話したい
好きだから あなたのこぼれる笑顔が見たいから
好きだから あなたと行きたい あなたと話したい
好きだから あなたのこぼれる笑顔が見たいから