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MR会 MR会の歩み

MR会発起人代表 五十嵐仁さん  初代代表世話人 森川健一さん  2代目代表世話人 竹本泉さん 

MR会発起人代表 五十嵐仁さん 2017-03-14

<<MR会発足のきっかけと最初の頃の話>>
五十嵐 仁    
■R社歴とその後、今
1980年(まだ社名が日本リクルートセンターだった頃)入社の五十嵐仁です。
入社して当時の人事教育事業部(人教:現在はリクルートマネジメントソリューションズ)に配属され、本社・札幌支社・大手町営業所・大阪支社勤務。その後INSへ社内転職(文系の私には大変でしたが、出逢いも多かった)、その後リクルート人材センター(現リクルートエージェント)転籍、平成元年となった1989年に小さな研修コンサルタント会社に転職しました。その後、故郷北海道(札幌)にUターンし、リクルートの代理店勤務を経て、独立して研修会社設立、3月で18年期が終わります。道内企業、役所・病院を対象に研修トレーナー、人事コンサルティングの仕事をしております。

■MR会発足のきっかけは?
最初のきっかけは、私が平成元年にR社を辞めて転職した会社にいた時のことです。この会社は、企業研修、人事コンサルティングの会社で、企業法人の研修以外に個人向けの講座もあったので、個人で研修に参加する前向きな人へ営業していました。その最たるターゲットは、もちろん元リクルート(元R)だったわけです。R社社員及び元Rの先輩や同期を訪ねていました。元R社員は転職先では幹部、管理者として活躍したり、或は独立したり、会社を興したりでした。その内に、これはお互い交流するとおもしろいと感じ、そんな会があるといいなと思ったのです。(本心は「どうせなら元Rのメンバーをいっぺんに集めて営業のチャンスにしてしまおう」)。
  早速、INS時代の元上司の森川さんや1期先輩のスターツの松尾さん、同じ人教にいたことのある野口さん、プルデンシャル生命の新井さん(元INS)に「元リクルートの人も増えたので、皆で定期的に集まり、情報交換したり相互に協力し合ったりしませんか」と声をかけ、さらにその皆さん方の元Rの友人に声をかけてもらって会合を持ちました。平成3年11月13日のことです。私の手許にある記録メモでは14名が集まり。おぼろげな記憶によると、(以下敬称略)、森川、野口、松尾、新井、真部、高村、大関、井上、今村、天造、日野、松本、私五十嵐(もしお間違いがあればお教え下さい)。ここで、とりあえず継続的に集まろう、名前はMR会、そして初代代表を森川さんに、他数人の世話人が決まりました。

■活動スタート(平成4年2月~平成5年1月まで)
MR会としての第1回会合は翌平成4年2月25日で、11名参加。今後の活動にについて議論百出、いろんなアイデアが出ました。とりあえず月1回の会合を開くこと(MRサロン)と、毎回会員2名に仕事や今後の事業計画などについてプレゼンしてもらうことを決めました。翌3月以降継続して開催しました。翌平成5年1月のG7ビルのシーガルハウスで開催して〔93年新春MR総会&懇親パーティ〕迄の12回、丁度1年間、MRサロンの企画と会員への案内などの事務局を担当させていただきました(当時は全員にFAXで案内送信でした)。平成4年の世話人は、森川健一さん(初代世話人代表)、松尾昭さん(副代表)、野口茂雄さん、新井満さん、永井寿文さん、そして五十嵐(事務局)の6名でした。
この1年目のMRサロン、会員プレゼンの記録は全て手許にあります。多種多様な異業種・異職種のMRが、新事業への取り組みや新商品開発のテーマなども多く、毎回興味深い会合でした。例会でR時代に直接つながりのなかった方が参加されたら、必ずその会社に訪ねて行き、自分の講座営業はそっちのけで、いろいろと情報交換をしてMRの輪を広げました。
この年4月に私が札幌に戻ることになり、真部〔安藤〕ゆかりさんに事務局をお願いし(平成5年1月から7月まで)、その後真部さんのお仕事が忙しくなり、お願いして平成5年7月から事務局を野口茂雄さんが引き継がれました。

■これからもさらにMR
初めての会合に来ていただいた方々、そして初代世話人の面々、1年目のプレゼンのメンバー、皆様ありがとうございました。皆様のお力でMR会の渦が回り、今につながっていると思います。そして、もちろん、2代目世話人代表竹本さんや現在の山田代表他、その後の世話人・幹事の皆様野にも感謝しております。現在活動や交流の形は変わってもこのMR会のメットワークがさらに広がりますことを大いに期待しております。


<<MR会発足以来の活動内容>>

初代代表世話人 森川健一さん 2017-03-27

<<2007年に寄稿いただいた原稿より>>
森川 健一    

MR会1000名突破、感慨深いものがあります。
当時の会合で、よく「いずれ武道館で総会を開きたいね」などと話していたことを思い出します 「手作り」「口コミ」で始めたMR会が、ここまで続いてきた秘訣は幾つかに集約されると思います。

1,五十嵐君の口癖であった
「自分は皆に何が出来るのか、皆に何をしてほしいのか」
つまり、“お互いに役に立ち合う精神”を会の基本において、会員が積極的に参加したこと
毎月2~3人が自分の仕事を会員に理解してもらうための「プレゼンテーション」を恒例としていました

2,これは結構大事な仕組みだと思うのですが
「紹介者ピラミッド構造」にしたことも、皆で会を盛り上げる大事なシステムだと思います。
つまり、口コミ紹介システムにし、紹介した人がその人の責任を負う(除名の権限も付与)ことで
良質な(1,の精神を理解する)参加者水準が確保できたと思います。

3,それと始めてみて改めて解ったR社DNA
「匂いが同じ(これは多分、自ら機会を~精神だと思いますが)」「会ったとたんに友達になる」
他にも、色々あると思いますが、当初から、皆で考えた会則を定めて活動しましたので、改めて見ていただければMR会の設立趣旨をご理解いただけると思います。
また、“偉い人”を創らないために「世話人会」形式にしたことや、次々とその世話人に若手が参加してくれたこと
何より、竹本君、山田君という「人材」を得、サポートしてくれる積極的な各代の世話人
「人」そのものがMR会を活性化させるのだと言うことを、今も実感しています。
ロケットは既に3段目に点火して加速がついていますが
これからも「皆の役に立つMR会」にお役に立てられれば幸いです。
因みに、私の是非達成したい、これを実現しなければ死ねない目標は「MR養老院」の設立です。
うるさい養老院になるぞ!! 

2代目代表世話人 竹本泉さん 2017-04-24

<<2007年に寄稿いただいた原稿より>>
竹本 泉    
当時の思い出
初代の森川さんと新宿で会っているときに「腰が・・・」
と顔をしかめてタクシーに乗り込んだ後姿を見送ったのはもう
10年位前の冬になる。

持病のヘルニア悪化で仕事にもMR会にも差し支える状況との
話で、「だから世話人代表やってね」。今思えば、腰痛も戦略
だったか(笑)。

事務局は野口さんが引き続き精力的にやっていてくれて、
月例会の2週間前前後に会員あて、FAXをして出欠確認をしていた。

ただ、伝統的にR時間(7時といったらその頃に行く努力はするが
仕事優先なのでいつになるか、行けるのかわからない)で会議室
の調整等苦労していた。よく使わせてもらったのが青山のアジア
会館。不動産分科会で会費収入を大幅増に!などと世話人会やら
料理分科会やら名目を立てては飲んでいた。木村さん、永井さん、西沢さん、
原さん、青木さん、むっちゃん、新井さん、高橋さん、懐かしいね。

現代表の山田さんが事務局を引き継いでくれたあたりから、MR会
のIT化が進み、メールやHP活用など大幅にデジタル化してきた。
いつの世も事務局の苦労は絶えない。本当にお疲れ様です。

今後はデジアナ時代。適度なアナログのふりかけをMR会のなかで
考えて行きましょう。